日本医師会が2020年に実施した「医業承継実態調査」によると、調査対象の民間医療機関において、今後の承継プランとして第三者承継を選択肢としている割合は38.2%、事業売却・M&Aを検討している割合は22.2%となっています。親族間承継や法人内承継以外のかたちを模索する動きはここ数年活発になっています。第三者への承継は、事業譲渡又は合併などが考えられますが、その際の職員の雇用・人事管理には留意すべき事項がいくつか存在します。本稿では医療機関における事業承継(医業承継)時の人事管理のポイントについて解説します。

 

【事業承継のパターン】

事業承継

承継方法

人事管理上の手続き

 医療法人の場合

 親族への承継

Ⅰ参照

 第三者への承継

 他の医療法人との合併

Ⅱ参照

 個人クリニックの場合

 親族への承継

Ⅲ参照

 第三者への承継

代表者の変更に伴い発生する人事管理上の手続き

事業承継により代表者が変更となった場合、人事管理上においては以下の手続きが発生する可能性があります。

① 労働条件の再提示・雇用契約の再締結

② 社会保険・労働保険等の喪失・加入手続き

③ 退職金の精算若しくは引継ぎ

例えば、親族間承継・法人内承継などで「商号」が変わらない場合は上記①から③の手続きは不要となりますが、事業譲渡や合併などによる承継の場合は異なります。

 

〈Ⅰ:事業譲渡による場合〉

事業譲渡によりクリニック等の医療機関の運営が第三者に引き継がれる場合、元々在籍していた職員と譲受法人は一人ずつ雇用契約を再締結する必要があります。その際、労働条件は原則、譲受法人の規則に準ずることになります。また、社保・労働保険関係は喪失・加入手続きが必要となり、かつ退職金についても一般的には譲渡法人において精算することとなります。基本的には前所属先(譲渡法人)を退職し、新たな所属先(譲受法人)に転籍することと同等の手続き(①から③すべて)が行われることになります。なお、職員にとって不利益が最小限となるよう、「既存職員の雇用継続や現給保障」などを事業譲渡契約書に盛り込むケースも見られます。

 

〈Ⅱ:合併による場合〉

法人間の合併により事業承継を行うケースもありますが、合併のパターンによって対応が異なります。

A) 新設合併の場合

いずれの法人格も消失し、新たな法人が誕生する形式となるため、いずれの法人に所属していた職員も「事業譲渡」のケースと同様に①から③すべての手続きが必要となります。

B) 吸収合併の場合

権利を引き継ぐ(吸収する)法人に所属する職員は、特段の手続きは発生しません。一方で吸収される法人に所属する職員は、雇用契約や労働条件は前所属のものが承継されることが原則となります。これを吸収する法人の都合で不利益に変更しようとする場合、当該職員の個別の合意が必要となります。なお、労働条件等は引き継がれるものの、所属先が変わることから、②の手続きは必要となり、③については前所属先での勤続期間等も含めて引き継がれることが原則となります。

 

 ●不利益変更に該当する項目

 ・給与・手当の減額(※但し職位変更による場合は例外)

 ・年間休日日数の減少

 ・所定労働時間の増加、など

 

なお、吸収合併の場合は、実質的に二つの法人の就業規則が混在するかたちとなります。吸収する側・される側のいずれも職員に対しても不利益な変更は原則認められないため、一定期間経過後に少しずつ人事統合していくこととなります。

 

〈Ⅲ:個人クリニックにおける代表者の変更〉

個人クリニックの場合は、承継先が親族又は第三者であったとしても、診療所の廃業手続きと開業手続きが同時に行われるため、元々所属していた職員は、新たな代表者に雇用されることとなります。よって、事業譲渡のケースと同様に①から③すべての手続きが必要となります。但し、一般的にこのケースにおいては、これまでの同等の労働条件のもと①・②の手続きが行われ、③の退職金については勤続期間を引き継ぐケースが少なくありません。

元々所属している職員へのアプローチ

承継時において、元々所属している職員は無条件に転籍するわけではなく、就業継続したい方とそうでない方がいたり、承継者間の協議で職員を総入れ替えする場合なども想定されます。いずれの場合においても、承継時期が確定した時点で、以下の流れで進めます。

 

 ・職員への全体説明(承継の時期など)

 ・職員個別の面談(承継後の労働条件等の明示)

 ・意向集約(希望退職・就業継続希望)

 ・人員削減が必要な場合は退職勧奨など

 ・各人の状況に応じて先述①から③の手続き

承継時は人事管理を見直す転機

承継による人事管理は、既存職員の心理面・待遇面への配慮が不可欠となりますが、一方で日頃は手が付けづらい既存の給与制度や評価制度など、人事管理の在り方を再考する良い機会でもあります。代表者の変更を契機に人事管理を少しずつ見直していく医療機関は少なくなく、現代的な働き方や法制度への対応、職員にとって魅力のある条件、厳しい経営環境を乗り切るためのシビアな業績管理など、以下のような事例も見られます。

 

 ・時間外労働の申請・承認フローの見直し

 ・会議・ミーティング時間の見直しと(時間外)会議手当の創設

 ・早出手当など、新たな手当の創設

 ・交通費のベースアップ

 ・個人評定に連動する昇給・賞与支給ルールの設定

 ・初任給水準・時給の引き上げ

 ・定年年齢の引き上げ・撤廃

 

将来訪れるクリニックの承継や閉院を考える際、患者や地域住民のことはもちろん、職員の今後の生活についても考える必要があります。引き継ぐ側、引き渡す側のいずれの立場になったとしても、安心して働ける環境を整えることが経営者には求められます。