介護事業の経営状況

 介護事業の経営状況に関して、厚生労働省の「令和元年度介護事業経営概況調査」によると、2018年度の決算ベースにおける収支差率の全サービス平均は3.1%で、対前年比-0.8%という数値が出ています。定期巡回・随時対応型訪問介護看護で8.7%(前年比+2.4%)、看護小規模多機能型居宅介護で5.9%(前年比+1.3%)など、一部の事業において収益率が向上しているものの、多くのサービスで前年比割れとなり、介護経営の厳しさを示す結果となっています。㈱東京商工リサーチが公表した2019年の「老人福祉・介護事業」の倒産件数は、最多であった2017年と並ぶ111件(前年比+4.7%)となり、訪問介護(58件)、通所・短期入所介護(32件)など、特に小規模の事業者が目立ちます(図表1)。新規参入が相次ぎ、職員や利用者の確保が困難となっている中、経営力の差が顕著になりつつあります。

 このような状況下において、国は医療機関等相互間の機能分担や業務連携の推進を目的とした「地域医療連携推進法人」制度や、社会福祉法人が中核となる「社会福祉連携推進法人」制度の創設、複数の小規模社会福祉法人等が参画する「法人間連携プラットフォーム事業」の設置に向けた準備を進めており、スケールメリットを活かした事業の安定化・合理化が検討されています。

医療機関によるM&Aの可能性

 昨今の医療業界では、事業拡大(・承継)のための手段としてM&Aの手法を用いるケースが増えています。通常、医療機関が譲受する事業は、病院・診療所などですが、付帯する介護事業を併せて譲り受けたり、場合によってはM&Aにより新規で介護事業に参入したりというケースも想定されます。M&Aのメリットは以下に集約されます。

<M&Aのメリット>

・事業規模拡大による収益力の向上

・イニシャルコストの抑制(譲渡価格による)

・利用者確保の省力化(新設に対して)

・人材確保の省力化(新設に対して)

・時間、手続き等の短縮(新設に対して) 

 これらに加え、仮に医療機関が介護事業を展開する場合、既存の医療事業の実績を介護に活かすことで相乗効果が期待できます。本稿では、医療機関が介護事業のM&Aを行う場合、事前に確認すべき事項やポイントについて解説します。

介護業界のM&A事例

 図表2は近年における介護業界のM&A事例の一部となります。医療機関同士のM&Aと異なり、買手・売手ともに一般企業(その多くが大企業)によるものが目立ちますが、公になっていない事例も含め、今後は多様化していくことが予想されます。譲渡対象事業については、介護保険の対象とならない有料老人ホームやサービス付き高齢者向け住宅が多く、これらの事業は介護保険法上の規制がない分、比較的譲渡がしやすい事業と言えます。これらに加え、通所介護や認知症対応型生活介護(グループホーム)などの介護保険事業の事例も見られますが、譲渡対象事業が介護保険事業であるか否かによって、事業譲渡のスキームが異なってきます。

介護保険事業を実施できる経営主体

 介護保険法に規定する介護事業を行う場合、行政当局から介護保険事業者として指定を受ける必要があり、事業者は原則法人である必要があります。但し、個人クリニックであったとしても健康保険法の保険医療機関・保険薬局の指定を受けている場合、介護保険法による医療系サービスの事業者として、指定されたものとしてみなされます(いわゆる「みなし指定」)。保険医療機関等がみなし指定を用いて実施できる事業は以下のとおりです。

 

 保険医療機関   

 (介護予防)訪問看護

 (介護予防)居宅療養管理指導 

 (介護予防)短期入所療養介護 

 (介護予防)訪問リハビリテーション

 (介護予防)通所リハビリテーション

 保険薬局

 (介護予防)居宅療養管理指導 

 

 また、(介護予防)訪問リハビリテーションや(介護予防)通所リハビリテーションは、原則、病院・診療所・介護老人保健施設が運営できる事業となり、個人クリニックが法人格を取得することは求められません。

 これら以外の事業を運営する場合は、医療法人等の法人格を有している必要があります。法人格の種別に規制はありませんが、介護老人福祉施設(特別養護老人ホーム、地域密着型も同様)に関しては、社会福祉法人でなければ運営することができず、介護老人保健施設や介護療養型医療施設の運営主体は医療法人(前者は社会福祉法人も対象)である必要があります。

 新たに介護事業を運営する場合、対象となる事業によっては、種別を踏まえた法人格を整える必要があります。

経営主体でみる介護事業のM&A

 売手側の経営主体にも注意が必要となります。同じ事業であってもM&Aが実質的に不可能であるケースが考えられます。

 例えば、出資持分や資本金の概念がない社会福祉法人は法人自体を譲渡することは実質的に不可能であり、社会福祉法人の財産を他法人に移転することも非常に高いハードルがあります。これに対し、医療法人では法人譲渡や事業・財産の譲渡は認められる可能性があり、株式会社などの一般企業に関しては先述した事例のとおりとなります。

 どの事業をどの経営主体が行っているかを事前に把握する必要があります。

 

 社会福祉法人

 公的な存在であり、法人の保有財産は公共財産に近い性質を有するため、財産の移転や法人譲渡は実質的に認められない。

 医療法人

 法人譲渡は可能だが、事業譲渡は行政当局への相談が必要。

 株式会社

 介護保険の事業を譲渡する場合、運営主体を変更する申請(廃止および開始)をすれば、通常認められる。

公的補助金の投入の有無

 事業所の建設に際し、公的補助金が投入されている場合、事業譲渡により経営主体が変わることで、行政当局から補助金の一部返還を求められることが考えられます。この場合、返還義務を負うのは売主(・譲渡人)となり、売却代金等をこれに充当することが想定されますが、行政当局との財産処分の調整には時間を要する可能性があります。自治体により異なりますが、近年では、地域密着型サービスの整備を促進するため、各市区町村が設置者に対し補助金を交付する事例が多くみられます。具体的には定期巡回・随時対応型訪問介護看護、認知症対応型通所介護、(看護)小規模多機能型居宅介護、認知症対応型共同生活介護、などが該当します。特別養護老人ホーム(地域密着型を含む)も基本的には補助対象事業となりますが、既述のとおり経営主体は社会福祉法人に限定されます。通所介護や短期入所生活介護などに比べると、補助事業に該当するケースが高くなるため、当該事業に対する公的補助金の投入の有無、その処分に支障がないか、事前に確認すべきポイントの一つと言えます。

経営資源・経営環境の把握

 前提となる条件等を確認したのち、事業そのものに対する可能性を検証(デューデリジェンス)していくこととなります。デューデリジェンスは財務・税務・法務・事業性などの領域を各分野の専門家に調査してもらい、それに基づきM&A実行の可否、譲渡価格を判断します。

<職員の雇用状況と労働条件、採用環境>

 その中で、人的資源の確認は重要なポイントとなります。従来から事業所に勤務する職員を引き続き雇用することができると、採用活動が軽減できることに加え、従来からの利用者も安心して利用を継続することができます。介護事業の経営そのものを左右する職員の雇用に関しては、引き続き勤務する見込みを確認することに加え、年間休日日数や所定労働時間、賃金(退職金を含む)などの労働条件を把握する必要があります。2つの法人間にあまりにかけ離れた労働条件が存在し、それにより従来の職員が不利益を受ける場合、結果的に多くの離職を招くことが想定されます。この点、通常の事業譲渡契約においては、原則、譲受法人の労働条件が優先されますが、条件面の擦り合わせは十分に行い、特に管理者などのキーパーソンは、厚遇して引き留めを図るなどの個別対応も必要となります。現行の人事管理の状況と当該地域の採用環境は十分に確認した上で、人事戦略を立てる必要があります。

長期的な経営ビジョンと情報収集

 介護事業の経営は容易ではないことに加え、公益性の高い介護保険事業のM&Aには留意すべきポイントが多く存在します。しかし、介護ニーズがますます増大し、介護予防や在宅支援の重要性が求められている状況下において、実績のある医療機関がこれらの役割を担うことは十分に期待されます。長期的な経営ビジョンを明確にし、行政・金融機関・近隣事業者などとの情報共有を図りながら、選択肢の一つとして検討されてはいかがでしょうか。